ネットで報道の中立性を確保するには?

今更だが、J-CASTニュース : NHKに取り上げられた 女子大生のブログ炎上という記事を読んで考えたこと(このニュース自体については触れません)

使い古された言い方かもしれないけど、人間のコミュニケーションが絡む事象には、いくら一方が正しいと思われても、やはりもう一方は正当性を持ちそれを主張することはザラにある。そして、そこにおいてはどちらにも各々の「善」があるわけだ。

マスメディアというのは、本質的には何かに白黒をつけて「わかりやすく」報道するという性質(ミッション?)があるから、その過程でどちらかの善が正義として持ち上げられるのは、性質上致し方ない。放送法にあるメディアの中立性原則が放送法も、「中立的に」というよりもそこに歯止めをかけるという役割の方が大きいように思う。

しかし、だからといってパーソナルメディアたるネットがお互いの立場を正しく伝えられるかというとそうではない。むしろサイバーカスケードという言葉にもあるとおり、お互いのコミュニケーションの分断を招き、両者は分かり合うことができなくなってしまうケースもありうる。ネットで延々とコメント合戦をしているのをみると「とりあえずお前ら一回飲みにいって話したらどうなんだ」と思ったりもする。ネット上のコミュニケーションというのはそのように一面では相互理解においては「非効率」なものなんだろう。

余談だが、有名なブログではすでに1つの記事に100のコメントがつくなんてことはザラだから、そういう状況に対応して、将来的にはブログにもコメント書き込みの勢いや内容から判断して炎上・荒らし防止機能・フィルタリング機能なんかもつくのだろう。そのように炎上が不可視化していくのも、東浩紀氏の言う環境管理型社会像を考えれば、想像に難くないことです。

で、閑話休題。その中で、どうやってお互いの言い分を等価な存在として読者に示すかということがネットのこれからを考えていく上であると思う。思いつくのはコトノハ○×みたいな感じで両者の意見・根拠を示した上で、それに対して賛意とその根拠を読者に尋ねていくという方式のニュースサイト。

「根拠」と言うところが重要で、つまりある主張があるとき、それは主張そのものとそれをサポートする根拠があるのだが、議論が建設的に進展していくためには根拠が示されることが不可欠です(See also 大学教員の日常・非日常:主張と根拠

なので、その根拠がユーザによって判決され、その妥当性がアリの巣のように細かく深く議論されていくというのがよいかもしれない。それってdiggnewsingみたいなのが近いのかもしれないけど、なんとかいうか、もっと根拠と○×が見やすい形に視覚化できると良いかなと思うのです。まぁ、多様な立場を絞って並列化させようという発想が通じるのは数が限られているかもしれないけど‥。