大学の授業は「なぜ学ぶか」という質問に答えているか

流通する「講義ノート」73%が購入経験あり? (大学プロデューサーズ・ノート)

講義ノートおよび講義ノートビジネスけしからんという話。この手の話はレポート売買サイトの件でもよくいわれた話ですよね、というか問題にするならこちらの方が深刻だと思いますが。

まず、リンク先の方の不正であり、学術の冒涜だと主張する根拠は明確には書いてないのですが、推測すると「講義ノートを買うことは学び(=大学に通う目的)の意味をみすみす見失うことであって、高額の学費を払って買ったチャンスをドブに捨てるようなものだ」ということでしょうか。まぁ、これは当然といえば当然です。単位を取るためだけに大学に来るのは本末転倒以外の何者でもないですから。

ですが、すべての授業が意欲を持って学べば必ず得るものがあると言えるほど有意義なものかというとちょっと疑問です。経験論ですが、中には専門分野のポジショントークに終始する講義や重箱の隅だけつついて出た応用しようのない知識を教え込むような講義も少なくありません。そのような授業は真面目にしっかり受けるよりも、本でも買って読んでいたほうがいくらか勉強になるというものです。得るものがまるでない(と思われる)授業を受けるよりも、インフォーマルな形で勉強していた方がいいケースもあるでしょう。

遊ぶために講義ノートを使うのは、大学は学ぶために来てその成果を証明した学位を出すわけですから、ずるい(というか学位の根底を揺るがすもの)あるいはもったいないと思います。また、他に興味のあることを学ぶために講義ノートを使うというのも、真面目に授業を受けていた人から見たという意味では同じくずるいです。が、4年間で様々なことを学ぶためにはあってもいいようにも思います。

学ぶ意味とは、物事の批判的に考察する能力を獲得するとか、思考プロセスを重ねることによって考える基盤を形成するとか、社会の様々な疑問に自分なりの回答を見いだすとか、新たな価値観を取り込むことで自己を形成するとかまぁいろいろあるかと思いますが、これらの価値を全く得られないような授業も一部にあることは確かです。

そうしたことをふまえた上で、もし講義ノートを無効したいのなら、試験やレポートよりも一回一回の授業に評価の基軸を移すようにするといいんじゃないでしょうか。たとえば、授業終了前に前もって出しておいた課題分の感想を書かせるとか、授業終了後に批判的な感想や得たことを書かせて、それを採点、次回の授業時にフィードバックするようにすれば、講義ノート式の学習は使えませんし、学生の目的意識も明確になり、学習意欲もあがるでしょう。